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P.T.A―Part Time Art ふつうの人が発信するアートカルチャーマガジン―

福岡アジア美術館のボランティア制度がすごい! 潜入レポート

美術館で、アーティストや学芸員だけでなく「普通の人」も活躍しているのをご存知でしょうか? それはボランティアの方々です!
ここ福岡市にある、福岡アジア美術館(以下あじび)は、世界初、そして最近まで唯一のアジア美術を扱う美術館として、美術界に大きな役割を果たしていることで有名(2015年にシンガポール国立美術ギャラリーがオープンしたため唯一ではなくなりましたが)。このたびわたくし、あじびのボランティアになるべく、養成研修を受けているのですが、あじびのすごさには、ボランティア養成にも秘密がありそう! ということで、以下現場から潜入レポートします!



ガイドや滞在アーティストのサポート、ときにアーティストとパフォーマンスに出演(!)など、あじびのボランティアは、さまざまな場面で必要不可欠な存在です。それは、あじびの最大の特色が、美術を通じたアジアとの交流であることに由来します。学芸課の中の教育普及などを行う部署は、あじびでは「交流係」と名付けられており、ボランティア養成を担っているのもこちらの係。
市民の代表としてのボランティアは、交流の主体としてとても重要視されているのです。その歴史も館の誕生と時を同じくしており、ボランティアの募集は1999年の開館の前年から。こちらも全国的にかなり早いのではないでしょうか。

他館ではメンバー登録だけで誰でも活動できる所もありますが、ここでは、月1回の養成研修のうち、一定の回(現在は8回のうち6回)を出席し、レポートも提出して研修を修了しないとボランティアにはなれません。
研修は、1〜5月まで月1回、あじびの活動やトリエンナーレについて、展覧会や美術に関する知識など、約2時間学芸員による講義を受けます。(普通にお金を出して受けたい豪華な内容だし、同じ講座を平日と土曜に2回行ってくれるのも都合を付けやすいのでうれしいところです)

ボランティアの種類は、来館者向けのガイドや図書の整理、広報など一般的なものですが、同館の特色としては、海外からの受け入れアーティストなどとの交流は、特定のグループではなく、全員があじびの求めに対し、都合に応じて参加するということです。各グループで月2回以上、2時間程度活動が条件となります。活動によっては、土日や自分の空いている時間にできるものもあるということなので、お仕事されている方などでも案外できそうです。
ちなみに応募時の希望では、今回は子供たちに絵本を読み聞かせするボランティアが人気だそう。
このグループ分けは、最終的に、学芸員の方と面談をして決まるとのこと。 6月下旬より、晴れて一人前のボランティアデビューとなります。
ガイドをするボランティアは、さらに秋まで実地研修を行うそうです。
各活動では、ボランティアさんが自主的にやり方を工夫され、ボランティア主導で活動が進められているとのこと。

応募時も、証明写真付きプロフィールと志望動機を書いて郵送しなければならないという時点で、ずいぶんしっかりした仕組みだなと思っていましたが、お話を伺って、この培われてきた歴史と、ボランティアに対する意識がたいへん高いことが制度を支えているのだなと感じました。

そして今回驚いたのは、開館時、ボランティア募集に対して説明会の出席者がなんと830人だったということ!! 間違いなく日本最大級の美術館ボランティア組織です。そんなにみんなアジア美術が好きなのか、ボランティアをしたいのか、はたまた新しもの好きの福岡気質なのかわかりませんが、しかし、そのうち講座を10回中7回以上受けてボランティア研修を修了された方は534人もいらっしゃったということで、真面目にボランティアに取り組まれた方が多かったようです。修了式では、館長のご意向で534人一人ひとりに修了証書が手渡されたと聞いてジーンとしました。この今でも続く習わしに、あじびのボランティアに対する思いが表れているのではないかと思いました。

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ボランティアを通じて覗くあじびのすごさは、今後も随時レポートします!






# by parttimeart | 2016-01-31 04:37 | 美術館

福岡市・ホームレス支援の最前線に密着レポート②

本日はホームレス支援のNPO巡回に2度目の参加。
週1度の巡回、きょうは、おにぎりとバナナとみそ汁を持参。これに加え、個人のニーズに応じて毛布や下着、服などを配布する。
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天神地区を回り、お渡しできたのは18人。自転車で空き缶拾いの仕事をしている人は、先日の寒波でも缶を自転車に乗せて押して夜中歩いていたそう。女性の方もいて、驚いたのだけど、試食のため歩いてお店をはしごしたり、ドラッグストアのテスターでお化粧したりするというお話を聞いた。お店前のゴミ袋をひらいている方に出会い、土下座でお礼を言われた時はとてもつらかった。みんなしっかりしていて、見た目には本当にホームレスとわからないのだ。
参加者の方には、院生の方や行政から委託を受けた福祉団体の方などがいらっしゃった。やはり貧困者が路上生活者だけではなく、見えにくくなっているとか、声をかけられるのを避ける方や所在不明になってしまうホームレスさんもいると聞いた。
私は個人的にホームレスに声かけをしたことがあるのだけど、ある方から、人によっては危ないからやめた方がと助言いただいていて、ある参加者の方は、人によって考えが異なるから、個人的にホームレスと会っても声はかけず、団体で活動しているときに接触する、そしてお金はあげない、といわれていて、確かに彼らはなんでも欲しいわけじゃなくて、求めるものをちゃんと話せる信頼関係が大事なんだと思った。
なんだか、彼らに会った後は賑わう街を歩いたり、贅沢(と言っても普通に店でご飯食べるとかなんか買うとか)したりするのがすごく申し訳ない気持ちになるんだけどそんなこと私が止めても誰も助からないし止められないしなんなんでしょうかね、この社会は。
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# by parttimeart | 2016-01-30 00:09 | 社会

福岡市・ホームレス支援の最前線に密着レポート①

2015年のクリスマス。イルミネーションが煌々と輝き、お祭りムードの福岡市の中心・天神地区は人出もピークに達していた。
温暖なイメージのある九州とはいえ気温は9度。分厚いコートを着ていても手はかじかみ、寒さが身にしみる。
福岡市・ホームレス支援の最前線に密着レポート①_c0309568_00055384.jpeg


この日、おしゃれをして待ちに繰り出す人々とは違う様相の一行が、街を歩き回っていた。
大きな袋や毛布を手いっぱいに抱えて、ホームレスに話しかける。

彼らは1996年からホームレスを支援する「NPO法人福岡おにぎりの会(※1)」のメンバーだ。

この日彼らが毎週金曜日に行っている巡回に同行した。



午後8時。

集合場所となっている福岡市博多区の美野島司牧センターには、約40人の会員やボランティアが集まっていた。
全国的に越冬支援は行われているが、ここでも通常月1回の炊き出しを冬(12月から)の間は毎週行い、おにぎりや衣服を配るそうだ。

「初めてなんですけど・・・」
と、近くの女性に話しかけると、会のメンバーの方を引き合わせてくれた。

「きょうの活動には参加できますか?」
と尋ねると
「もちろん大丈夫です。私たちは教会に事務所を借りていますけどお寺の方も居ますし、いろんな方が参加されています。誰なのか知らないくらいですから。毎週でなくてもこられるときで大丈夫ですよ」と言われて一安心。
会のパンフレットやチラシをいただいた。

福岡市・ホームレス支援の最前線に密着レポート①_c0309568_00061435.jpeg


最近の巡回では約110人のホームレスと接触しているという。
「年越し派遣村(※2)」以降、路上のホームレスは減ったが、ピークの約7年前は800人程度の野宿者がおり、うち約600人に会っていた(※3)という。
近年、ネットカフェやカプセルホテルで暮らす人など、見えにくいホームレスが増加していることも背景にあるかもしれない。

やがて、全員でミーティングが始まった。
大人数がぎゅうぎゅうとなりながら一室に収まる。
最初に司牧センターの外国人の牧師さんがあいさつを始められた。
「福岡のクリスマスはにぎやかですが、家族と別れ、貧しい生活を余儀なくされているホームレスにとっては一番つらい時かもしれません。ぜひ優しさを分かち合いましょう」

そして福岡各地で11コースの班に分かれ、事前に厨房で作られたおにぎりなどが入った包みを車に積み込み、出発した。
渡すのはおにぎり3個、ゆでたまご、カイロ、おにぎりの会のチラシがセットになったものと、今回は特別に下着のクリスマスプレゼントだ。

私は天神コースに参加することになり、午後9時すぎ、5人ほどのメンバーで街に出た。

歩いていると、閉まっている店の軒先で、何人かの男性たちが立っているのが見えた。
路上で寝ている場所などを訪ねていくのかと思っていたら、待ち合わせのように現れたこの人たちがホームレスらしい。
私は、目を疑った。
中にはまだ年老いておらず、身に着けている服もきれいな人も居た。不思議な気持ちで、包みを渡す。
(こんな人でもホームレスになるのか・・・)と複雑な気持ちだった。
「メリークリスマス。よいお年を」
とホームレスの人にいうのも複雑だが、お辞儀して別れた。

会の一行がいくつかのスポットに立ち寄ると、ホームレスの人たちが待っている。
路上のホームレスとはほぼ顔見知りで、すでに支援を続けているのだという。会は、最近来た人も名前などを把握している。

どこでどのように暮らしているのか、詳しくは分からないが、「ここで寝ている」と大通り沿いの階段の踊り場を指して教えてくれた人も居た。
日雇いの仕事をしているという人も居た。
意外だったのはしっかりしていて、ホームレスだとは分からない人が多いことだった。
会の方に「ぜひホームレスの方に話しかけてね」といわれたのだが、なんだかうまくかける言葉が見つからなかった。

20人ほどに配り終え、約1時間で巡回は終わった。
「ホームレスに見えない人も居てびっくりしました」
とメンバーの方に話すと
「それでも『公園でご飯をあさる』って話していたりしますよ」と言われた。
なんだかたくさん聞きたいことがあってどうしたらいいのか、どうやって解決できるのか話し合いたい気にかられたが、
初日なのでそんなもやもやを課題として、今後もかかわっていきたいと思った。



ホームレス支援に対して「ホームレスは努力が足りない、自己責任だ」、という反論はよくあるが、
やはりそれは間違っていると思う。
不況下、正社員として雇われるのはごく一部に限られ、多くの人は人格を持たない代替可能な労働力の供給者として使われる。
働く特に非正規の雇用はブラック企業も多く、「労基法が・・・」などの正論が通用しない状況である。
しかも、ワーキングプアが増加し、仕事をしていることが生活の保障にならないという現実がある。
その中で、ホームレスになる人はリストラや病気、家庭問題などでつまずき、そこから転落してしまうというケースが多い(※4)そうだ。
日本社会の問題は、雇用が新卒から終身雇用という硬直的なあり方であり、正社員になれなかった人は高齢で再就職もしにくくなり、非正規のまま、いつ切られるか分からない仕事に就くことになる。正社員でも、「名ばかり正社員」も多いし、今はいつ会社が倒産するかも分からず、リストラの危険もあるので紙一重である。
そしてもっとも問題なのは、このような殺伐とした労働市場においていったん落ちこぼれた人たちには再起のチャンスが与えられないということだ。
ホームレスになる要因を本人の自己責任だけに転嫁するには余りある、非人道的な状況があるのである。
今ホームレスをさげすんでいる人々も、いつその側になるか分からないのである。
そして、そういう貧しい人々に手をさしのべない寛容さのない社会は恐ろしいと思う。
たとえば、私たちが飲み会で4000円など簡単に払う分で、いったいどれだけのおにぎりをこの人たちに配ることが出来るだろうかと思う。
毎日だれかがホームレスのだれかにごはんをおごれば、飢えることはないだろう。
お金はあるところにはあって、その偏在が正せればみんなごはんが食べられるだろうに・・・。
しかし資本主義社会成立以降、そんな平等な社会は実現していないのだな・・・などと遥かなことを考えてしまうのだが、こうして身近なところで地道に活動しているボランティアの人々の姿には勇気をもらった。
少しずつなにか行動していきたいと思う。

(※1)福岡おにぎりの会 http://onigirinokai.web.fc2.com/onigiri/top.html
(※2)年越し派遣村 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E8%B6%8A%E3%81%97%E6%B4%BE%E9%81%A3%E6%9D%91
(※3)この数はおおよそ同会の巡回により接触していたホームレスですが、福岡県の調査ではホームレスはH21のピーク時(H21の1月より減少)福岡市に969人が確認されているそう。ちなみに福岡県では福岡市に9割が集中している。
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/uploaded/life/102982_50647021_misc.pdf#search='%E7%A6%8F%E5%B2%A1+%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9+%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%AF'
(※4)このサイトがわかりやすいです。http://www.homedoor.org/problem
こちらは古いですが学術的な分析
http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2004/07/pdf/049-058.pdf#search='%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A6%81%E5%9B%A0'




# by parttimeart | 2016-01-30 00:03 | 社会

構想1年?! 幻の連載・完結!アートプロジェクトを考える

もはや誰も覚えていないかもしれませんが、2014年秋。私はひとつの記事をアップしました。

世はアートプロジェクト戦国時代へ?~国東半島で考えたアートプロジェクトに必要なものとは?(上)~


それから(下)を執筆中に、すでにこの記事をアップしていたがためになぜか多方面より期待の反響をいただき、畏れ多くて筆を取れずに(ライター失格)なんと1年の月日が流れていたのです。本当にあった怖い話です。この間アートプロジェクト関係の方には顔向けできないほどでした(じゃあ書けよ)。
いや、構想1年! 構想1年! ということで勘弁してください!!

さて、(上)でどんなことを言ったかというと別に大したことは言ってないので再読する必要のないように主旨を抜粋しますと、

地域アートに必要な両輪は、
1、アートとしての質・レベルの担保と、
2、地域への溶け込み、被受容であると考えています。
(略)
アートが地域に出て行く以上、地域とアートが相互に分かり合い、歩み寄ることで補い合い、相乗効果を生み出して協働的にアートプロジェクトを運営すること。

それでこそ地域とアートが一体となった、(双方にとって)”付加価値”としての「アートプロジェクト」だと思います。
(略)
今後も経済の急好転は見込めないとすると、人寄せ的、観光目的などで行っているアートプロジェクトは持続性がなく、コンセプトや方向性の差別化も難しいので、アートプロジェクトの経年化とともに実際の集客などの統計データに明らかになるにつれ、淘汰されて消えるものも増えるのではないかと思っているからです。

集客をしたいのであれば、ゆるキャライベントやグルメイベントなどをやっていればよく、(それらは疑いなく幸せな催しですから)
アートを取り込むなら「なぜアートなのか」という、ほかの即物的なもので代替できない精神的な部分の必要性について説得ができないと存続は難しいでしょう。


ということを言っておりました。
そしてこの「アートプロジェクト戦国時代」において煌めくアートプロジェクトとして、2014年秋に大分県の国東半島で開かれた国東半島芸術祭を例に挙げたところでした(おさらい終了)。

まず国東のなにが素晴らしかったのか、というと
前回挙げた二つの要素
1、アートとしての質・レベルの担保と、
2、地域への溶け込み、被受容

が両輪として非常にうまく回っているなと思ったからでした。
1番目については、主催者であるBEPPU PROJECTのコーディネートにより、国内外のベテラン陣の安定感と、若手や話題性ある面々のフレッシュさがともに担保されていました。
そして、彼らアーティストとキュレーターによって、その嗅覚で場所を掘り起こし、作品を設置する過程で違う世界の見せ方を示しました。
もともと国東半島は修験道や自然などで有名なところではありますが、高齢化も進み、観光でとても潤っているわけではありません。
しかし「陸の孤島」といわれるその物理的隔離性が独自の信仰や文化を生み、現在まで伝承してきた類いまれなる地域でもあります。

そんな場所の力はもちろんありますが、その場にまずアート目的で呼び込むこと、そしてその場に包まれるそこにしかないアート作品を、また、そのアート作品によって変容するそのときしかないその場を、味わうことができるのです。
それは場とアート作品、どちらかの力だけでは成し得ず、両方が響き合ってこそ生まれるものです。

そして2について、作品と同じくらい非常に心に残ったのは、各地でボランティアでお茶やお菓子などを来場者に配ってくれる近隣住民の姿でした。これは住民が進んで手伝ってくれているもので、この地に巡礼に来る人たちをもてなすお遍路文化が由来しているとのこと。アーティストの制作段階から様子を見に通っていたおばあさんや、勝手にアーティストの作品にちなんだ木のアクセサリーを作っている人もいました。
計算されたものや予定されたサービスではなく、自分たちも、芸術祭に関わろうとする自発的な行動だからこそ、温かな気持ちになりました。
ただ作品を見て帰るだけでは、ロケーションが違うだけでギャラリーで見るのと結局変わりません。地元の人と交流することで、生の話を聞け、地域をもっと知るきっかけになります。地元にとっても、わけわからない観光客が無言で押し寄せて帰っていくより、話す方が安心感があるだろうし、活気も生まれるのではないかと思います。

もちろん、みんながみんな芸術祭に賛成なわけではないでしょう。少なくとも知り合える方々は、芸術祭に参加している方に限られるからです。
そういえば、ニュースで話題になったように、アントニー・ゴームリー氏の人体像は、信仰の対象である山中に設置されたため、賛否が分かれて大問題となったことが思い起こされます。
(大分合同新聞より。これ以降の話が見つからないのですが、結局どうなっているのでしょうか…。)

しかし、そこまでして芸術と地域がその意義を戦わせること、アートにとってその意味や必要性をそこまで問われるということがほかのアートプロジェクトにあるでしょうか? どちらもとても大事だからこそ退かないのであり、非常に貴重で大事なことだと思うのです。

この二つの視点から、わたしは鑑賞者としてアートプロジェクトを見ています。

そう、国東半島芸術祭といえば大変なんです。
思い返してみれば、各地のプロジェクトはよく「次のポイントは〇〇メートル先」とか看板がありますが、ここでは「〇〇キロ先(二桁)」など文字通り桁違いで、我が目を疑ったものです。
そして登山しなくてはいけない、1日で全部はいけない、バスもない、など環境的にはバリアだらけだったわけなのですが、
それは、日常の隙間で気軽に見るのではなく、登山のような場だったのでしょう。そこにたどり着くために準備をして、きちんと向き合って、入らせてもらうという、場所への敬意が必要だったからだと思います。場所に自分の体をなじませて、感性を研ぎ澄まして作品に触れる、まさに体験的なものを与えようとしていたのだろうと。
まさにそれこそアートなる体験そのものだと思うのですが、翻って、わたしたちは日頃アートをそういう風に見られているでしょうか?
アートプロジェクトでやっているスタンプラリーを集めるように、「はい、見た!」って満足したつもりになってはいないでしょうか?
視界に入れることは誰でもできます。でも、ちゃんとなにかの痕跡をわが身に残せているでしょうか?

国東半島をみたとき、私は「アートはまた観客を選ぶのだろう」と感じました。

これまでの広く浅く、みんなだれでもわかるように、という川が下流に向かうようなアートではなく、上流の厳しいところまで行った人のみ出会える泉がある。そういう風にアートは帰っていくのではないか、と。

今、アートは、間違った民主化でできたこの社会を批判しています。
それと同時に、アートそのものの民主化も見直されていくのではないでしょうか。

アートは資本主義社会でお金さえあれば手に入れられる"安売り"をした挙句、また貴族のみが持つ教養のように、今度は違う形で求める人のみが手にするようなものになっていくのではないかという気がするのです。
それは見る方からすると上から目線のようなのですが、遊園地に行くのとは違う、見る側も試される、そういったアートとの緊張関係を持つ必要があるのではないかと思うのです。

きょう2015年9月27日、BEPPU PROJECTは、2009年から別府市で続けていた「混浴温泉世界」の幕を閉じるそうです。
そして今回は、展覧会ではなくツアー形式で少人数、すべて要予約という趣向。チケットは早々に完売してしまい、そのやり方には賛否両論がありました。
わたしは予定が立てられずにチケットを買えなかったので、今回全く見られず残念ではありますが、それであってもその方針は応援したいと思いました。今回も体験を重視し、ベストな状態を見てもらうために時間を限定しているそうです。鑑賞者も、主催者の覚悟を汲み取り、そのうち見れるだろうではなく、絶対見に行く! とアンテナを鋭く立てる必要があると反省しました。

みんなに好かれるように、楽しさやわかりやすさを提供するのではなく、アートも、地域も、もっとぶつかりながら、混ざり合ってほしい。
見たいのは、どこでも同じものじゃもうなくて、もっと本気の切実なものではないですか?

〇〇アート、という言葉が氾濫する中、いまはアートが何か、ひいてはそもそもすべての判断基準が揺らいでいる時代です。ひとつの正解などない。だから自分が信じるアートを追求していくしかないのだと思います。

わたしは、鑑賞者として、にんげんとアートのことを本気で考え、覚悟のある表現者たちについていきたい、と思うのです。






# by parttimeart | 2015-09-27 04:55 | コラム

マームとジプシー「cocoon」を8月9日に観る。

マームとジプシー、cocoonの再演をみた。初演をみられなかったことが2013年の後悔の一つだったので、本当にうれしかった。そして8月、奇しくも8月9日という大事な日に、演劇が観られるというこの平和、そしてこの演劇を観るという意味を深く考えたいと思い舞台に臨んだ。(このあと内容についてやや言及しているのでこれから観られる方などはご注意ください)
マームとジプシー「cocoon」を8月9日に観る。_c0309568_18091395.jpg

いわゆる「戦争モノ」っていくらでも悲劇や美談になってしまいがちなのだけど、女の子たちが死んでいく様子ではなくて、成長過程の思春期の心や、女性性についてもこまやかに描かれていて、生身のひとりひとりが生きていたことをちゃんと見つめている気がした。戦争という悲劇は特別な世界のことじゃない。日常の薄皮一枚はがした中で、どろどろの別の“日常”になるだけなのだ。そして女の子たちは、どんな日常でもただ一生懸命生きているのだ。
現実にたくさんのたくさんの女の子たちが死んでいって、まだ果たされなかった夢、誰にも言えなかった悩み、好きな人への思い、悲しいとか怖いとか痛いとかって叫び、きっと魂はまだいいたいことがたくさんあったはずだ。それを役者さんたちの身体を借りているような、そんな演劇でしかありえない“力”を見せてもらった。

戦争の記憶や体験の継承に深く根付く問題で、リアリティーをどう伝えるのか。それを、彼女たちの魂と身体を通して実感することができるーー、演劇ならではの素晴らしい仕事だと思った。

興味深かったのは、戦争における性暴力も描かれていたこと。目をそらさずにきちんとすくいあげたこと、そして、男性側の視点でもその弱さもまた人間として共感できる描き方でよかった。そういった心を壊してしまうのが戦争だからである。

強調されていたのはこれは単なる過去のお話ではなくて、過去における未来が今なのであるということ、つまり現代の私たちは未来の悲劇を予測できているだろうか? という問いだと私は受け取った。

恐ろしいことに、これはフィクションの悲劇などではなくて、70年前、実際に私たちの祖父母世代が体験していることなのだ。
普段意識しなくとも、家族や街ですれ違うご老人方は、戦火を生き延び、癒えぬ傷を負っている方であったりするのだ。
戦争体験者は、あまりにもつらい経験に口を閉ざす人がとても多い。でも70年を機に、そして自分の将来の短さや昨今の政治情勢から、その重い口をやっと開いた人もいる。その意味を慮り、私たちはこぼれて失われていくきおくや経験を受け止めなければならない。

私たちはすぐに忘れてしまう。子供の頃に「戦争はむごいんだよ。絶対してはいけないよ」といわれて、小さな心に恐怖心とともに平和を誓っているはずなのに、なぜ大人になったらそれを忘れてしまうのだろう。大事なことを単なる理想にすぎないと無視して、目先の利益や権力にすがってしまうのだろう。

若者が「戦争が怖い。戦争に行きたくない」と言うのが、なぜいけないのか。cocoonの女子学生や兵士たちが、もしもあのときそう言えたら。それを言わせないようにしてきた社会がたどり着いた8月15日を忘れたのか。

戦争はいつの時代でもどこでも起きている。それは地震みたいなもので、たまたま今ここで起きていないだけ。いつだって普通にそれは訪れるのだ。絶望から立ち上がり、「生きる」と決めた女の子。また悲劇を起こして彼女を二度殺すようなことがあってはならない。





# by parttimeart | 2015-08-09 18:05 | レポート

アート専門家ではないふつうの人(会社員、福岡在住)が愛と情熱だけでアート、カルチャー情報を発信するメディアです。facebookではブログにはない情報をリアルタイムで更新中☆http://www.facebook.com/parttimrart
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