牛島光太郎さんの刻むもの
喫茶店で隣席の見知らぬ人の会話につい聞き耳を立ててしまった経験、誰しも持っているのではないだろうか。
失礼、「聞き耳を立てる」のではなく「聞きたくなくても耳に入ってしまう」のですよね。
街ですれ違う、言葉を交わすこともない無数の人々。平凡であってもそれぞれの人生を持ち、日々それぞれにドラマがある。たまたま隣に座っているあの人はどんな性格で、どんな風に生活しているんだろう。そんな想像で遊ぶのも楽しい。
アーティストの牛島光太郎さんは、北九州市の千草ホテル内のカフェを会場にした個展「千草ホテルの『何も起きない話』」で、カフェで起きた出来事を聞き取り文章にしてホテルが使用するクロスなどの布に刺繍。カフェの壁に展示して見せた(現在は会期終了)。
「何も起きない」というように、描かれるのはどこにでもありそうなカフェの日常。お客さんの会話、様子やそれから思い浮かべたことなどが断片的に短い文章で淡々と記されている。
劇的なことなどどこにもないのだが、なんだが微笑ましかったり余韻があったりするのは、牛島さんの穏やかな視点のおかげなのか、優しい刺繍の文字のせいだろうか。
牛島さんには、ある物を展示し、それにまつわるエピソードを刺繍して展示するという過去作品(「意図的な偶然」シリーズ)があったが、今回はその構造が反転し、展示されていた物にあたるのがこのカフェ自体であり、その中に刺繍作品が収められているのも面白い。
写真は過去作品。展覧会ホームページより
手作り特有の温かみのある丁寧な刺繍は本人の作。「刺繍した方がお客さんがちゃんと読んでくれるんですよね」と牛島さんは言う。
筆記具で書いたりカッティングシートを貼ったりする表面的な表し方ではなく、刺繍は立体的に文字そのものがモノとしての存在感を強く示す。刺繍という手法を選んでいる背景には、書かれた内容を情報として読み取らせるだけでなく、「モノ」として表出させることへの強い思いがうかがえる。それは牛島さんが彫刻出身(成安造形大彫刻コース)なのだというお話を聞いて納得がいった。彫刻を学んでいた頃、丁寧に作業することをよく指導されていたという。
この空間で起こる出来事や人やモノとの関係性、見えない時間を一針一針刻んで残していく手仕事。ご本人も認める通り、まさに彫刻そのものである。
このアーティストの真摯な仕事が、そこまでして刻もうとしている「何も起きない話」を、かけがえのない大事なひとこまのようにすら感じさせ、日常の見方を変容させ立ち止まらせる。どうでもいいようなことの中に、一番大切なことが潜んでいるのかもしれない、いやむしろどうでもいいことなんてないのかもしれないなどと。
そうすると過ぎゆく歴史を日々残そうと執筆するメディアや文筆家の営みも、ある意味彫刻といえるのかも。彫刻の可能性を広げるようで心地よい気づきを得る鑑賞体験だった。
余談だが牛島さんにはもう一つお尋ねしたことがあって、それは「もし刺繍の作業を他人に委託したら作品として成立しないのか」ということだった。「う〜んどうだろう…」と悩まれた様子だったが、やはり自分で”刻む”作業が大切だそうである。クラフトマンシップ溢れる彫刻家である。
失礼、「聞き耳を立てる」のではなく「聞きたくなくても耳に入ってしまう」のですよね。
街ですれ違う、言葉を交わすこともない無数の人々。平凡であってもそれぞれの人生を持ち、日々それぞれにドラマがある。たまたま隣に座っているあの人はどんな性格で、どんな風に生活しているんだろう。そんな想像で遊ぶのも楽しい。
アーティストの牛島光太郎さんは、北九州市の千草ホテル内のカフェを会場にした個展「千草ホテルの『何も起きない話』」で、カフェで起きた出来事を聞き取り文章にしてホテルが使用するクロスなどの布に刺繍。カフェの壁に展示して見せた(現在は会期終了)。
「何も起きない」というように、描かれるのはどこにでもありそうなカフェの日常。お客さんの会話、様子やそれから思い浮かべたことなどが断片的に短い文章で淡々と記されている。
劇的なことなどどこにもないのだが、なんだが微笑ましかったり余韻があったりするのは、牛島さんの穏やかな視点のおかげなのか、優しい刺繍の文字のせいだろうか。
牛島さんには、ある物を展示し、それにまつわるエピソードを刺繍して展示するという過去作品(「意図的な偶然」シリーズ)があったが、今回はその構造が反転し、展示されていた物にあたるのがこのカフェ自体であり、その中に刺繍作品が収められているのも面白い。
写真は過去作品。展覧会ホームページより
手作り特有の温かみのある丁寧な刺繍は本人の作。「刺繍した方がお客さんがちゃんと読んでくれるんですよね」と牛島さんは言う。
筆記具で書いたりカッティングシートを貼ったりする表面的な表し方ではなく、刺繍は立体的に文字そのものがモノとしての存在感を強く示す。刺繍という手法を選んでいる背景には、書かれた内容を情報として読み取らせるだけでなく、「モノ」として表出させることへの強い思いがうかがえる。それは牛島さんが彫刻出身(成安造形大彫刻コース)なのだというお話を聞いて納得がいった。彫刻を学んでいた頃、丁寧に作業することをよく指導されていたという。
この空間で起こる出来事や人やモノとの関係性、見えない時間を一針一針刻んで残していく手仕事。ご本人も認める通り、まさに彫刻そのものである。
このアーティストの真摯な仕事が、そこまでして刻もうとしている「何も起きない話」を、かけがえのない大事なひとこまのようにすら感じさせ、日常の見方を変容させ立ち止まらせる。どうでもいいようなことの中に、一番大切なことが潜んでいるのかもしれない、いやむしろどうでもいいことなんてないのかもしれないなどと。
そうすると過ぎゆく歴史を日々残そうと執筆するメディアや文筆家の営みも、ある意味彫刻といえるのかも。彫刻の可能性を広げるようで心地よい気づきを得る鑑賞体験だった。
余談だが牛島さんにはもう一つお尋ねしたことがあって、それは「もし刺繍の作業を他人に委託したら作品として成立しないのか」ということだった。「う〜んどうだろう…」と悩まれた様子だったが、やはり自分で”刻む”作業が大切だそうである。クラフトマンシップ溢れる彫刻家である。
by parttimeart
| 2014-02-04 04:22
| レポート
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