P.T.A―Part Time Art ふつうの人が発信するアートカルチャーマガジン―

アートコレクションとはやはり愛だと思う。

前回の記事で、インドネシアのアートコレクター、メラニさんにコレクションの真髄を教えていただいた折、ちょうど以前お願いしていた作品が届いて、ベッドにごろんとしながらずっと眺めていた。自室で寝転がって観られるってなんて最高なんだろうと思った。

アートを買って一緒に暮らす(「飾る」という言葉は違和感がある)ことは結婚によく例えられるけど、美術館やギャラリーによそ行きの格好でおでかけして少しの時間面会するのとは違って、部屋に作品が“いる”ってことは、「病めるときも健やかなるときも」観られるということだ。自分だって時には疲れたり、作品の存在に慣れたりして観ないときもあるだろうし、寝起きのぼうっとした目がそれをかすかに捉えるようなこともあるだろう。
直感で買った作品の良さが、観る度に分かって好きになっていくこともある。一緒にいて情が移るようなところもあるかもしれない。最初の印象が変わっていくものもある。
その時間軸を持てるのはやはり贅沢な楽しみだなと思う。

コレクションには、前述のように一緒に暮らして長い時間を過ごすことそのものの楽しみもあるけど、動機はそれだけではないと思う。

公共のアートスペースが開かれている現代において、多くの作品は購入せずとも鑑賞できる中、コレクションは大抵誰にも求められずに自主的にやるものだし、アートコレクターはアート作品を手に入れられるということ以外は基本的には見返りはない。でも身を痛めても(この度合いは経済状況によりけりだが)アーティストやアートのためになにかしたい、と思う人が本来的なアートコレクターなのだと思う。作品の購入によりアーティストを金銭的に支援したい、という直接的な意味だけでなく、自分が優れた作品を保管し次世代へ伝えることで芸術を守りたい、というような崇高なものなど、その貢献には様々な目的やモチベーションが存在する。

アーティストは、誰もやらない方法で、新しいチャレンジをして人が知らない世界を見せていく存在である。そしてそれは果てしなく、答えのない孤独な闘いだ。それなら私は、その作品や生き方が「良い」とか「好きだ」とか「面白い」と言って広めていく人になりたい。私にとってコレクションはその一手段なのだ。
そのものを得ること以外に、アートを集めることが私にとってなんになるか、なにを得られるかというのは、まったくどうでもいいことだと思う。なぜならすでにアートという営みを見せてもらい、感動をもらっているからだ。
規定のレールのない道を歩むのがアーティストなら、彼らをフォローしていくコレクターにとってもレールはないわけで、自分の信念や審美眼を貫いていかなければいけない運命は同じだ。なんならコレクターは自分が創るのではないからより手探りの状況の中で、より強力な愛情や熱意を必要とするのではないだろうか。

メラニさんを見ていても思ったが、アートコレクターというのは、人より愛情を持てる人のような気がする。

アートやアーティストをたくさん愛せるほど、そしてそれらから感動をたくさん受け取れる人ほど、きっとアートに尽くせるのだと思う。
そしてそういう思いを持っている人ならば、コレクションの数だとか金額とか、お金持ちかどうかなんて関係ないし、なんならコレクションをしなくてもなんらかの形でアートに貢献することができると思うのだ。

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Art work by Yosuke Takeda


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by parttimeart | 2014-09-27 02:17 | コラム

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