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外山恒一氏のニセ選挙運動〜なぜ毎回盛り上がらない選挙に仕方なく投票してまた民主主義に失望しなければならないのか。

12日は統一地方選です!

というのをどれぐらいの人が認識しているのでしょうか。
そういえば選挙カーが最近うるさいから、なんか選挙あるんでしょ、というくらいの方が多いかと思います。
なんの選挙があるかはお住まいの地域によって違いますが、本来バラバラな時期にある首長選や議員選挙を全国統一のタイミングで行うことにより、事務的な効率化を図り、有権者にも一大キャンペーンとしてPR効果を狙うというものです。

しかしその勇ましい響きとは裏腹に関心は高まらず、連日選挙カーのテンションの高い名前の連呼だけが虚しく街にこだましているようです。市議選など身近な選挙もあるので、知り合いや、友人の友人くらいの人が立候補している人も見かけますが、それでも実感としてほとんど話題になっていません。

投票は義務であり先人が苦労して得た貴重な権利だと思っているので、これまで選挙はおそらく一度も棄権したことはありませんでした。それでも何度も選挙結果には失望させられ、政治の難しさを痛感させられました。たとえば民主党の歴史的な政権交代では選挙は盛り上がりをみせたものの、その後の迷走で国民は政治に愛想を尽かし、311後、その限界を露呈させ変わるかと思われた既存の社会システムは逆に安定を求める人々により、かえって強固に維持されることとなっている現状。

たとえば特に最近の沖縄県と国のやりとりを見ていると、選挙とは、民主主義とはと考えさせられます。沖縄の人々が多数派で選んで信任した知事の考えを、国の意に沿わないために上から権力を使って封じるような、なんというか逆に見事なまでの離れ技的攻撃を繰り出しています。(注・ここでは沖縄の基地問題、特に辺野古移設についてどうするべきという内容には踏み込みません。ただ選挙で選んでも民意が覆される例として、たとえば知事が出した辺野古移設にともなう作業停止命令が国により効力停止されたことなどを想起しています。参考http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150330-00000017-jij-pol

しかしそもそも選挙への失望は私のスタンスが大多数の人が考えることと違うという単純な理由からであり、そうであっても民主主義のシステム上、たとえ反対の候補に投票しようが、みんなの多数決で決まったことには従わねばならず、選挙に参加することにより消極的に当選候補を信任したことに自動的になってしまうのでした。

しかしそうであっても希望は捨てず選挙は義務であるから、行かねば。。と思っていたところ、あの活動家の外山恒一氏が「反選挙運動」なるものをされているのを知りました。

トゥギャッターまとめ【外山恒一のニセ選挙運動】
https://twitter.com/toyamakoichi/status/585077391426334720

かつては自ら立候補して政府転覆などを訴えていた外山氏ですが(←サラッと書いているけどすごい)、最近は街宣車に乗り込み(黒塗り系ではない)、選挙カーに紛れて独自の主張をするというスタイルが定着しているようです。
国政選や都知事選では主に与党系候補者の後ろをついて「我々テロリストは原発推進派を応援します」などという誉め殺しキャンペーンをされていました。

これは摘発されないように法をかいくぐるようにかなり注意されていたようですが、行為としては極めてグレーであり、賛同されない方も多いとは思います。しかし私は、声を荒げ反対を呼びかける人々とは違って、テロリストを名乗って表向き応援しながら邪魔するというのは、ユーモアもあり、発想や意味を転換させるアート的な手法だなと感心したのでした。

そして今回は、ついに投票そのものを否定し始めた!
外山氏が、投票の否定の先に意図するアナーキズムやファシズムについては、私はまだ理解し賛同するに至っていないということは強調しておきたいのですが、少なくとも閉塞化した民主主義のあり方そのものを問い、前述のような選挙に対する無力感や疑念に焦点をあててくれたように感じます。

我々は幼い頃から決める時は多数決、学級では選ばれたリーダーによる統治という、民主主義教育を受け続け、民主主義=善とインプットされていますが、歴史上では多くの人が支持したことは必ずしも正しいとは限りません。(正しさと大多数の幸福は同じではない。そもそも大多数の人が選ぶこと=幸福とも限らない)

しかし教えられた通りやはり理想的に感じる民主主義への希望を諦めないとしても、より本来的な民主主義の実現のために、現在の選挙のあり方が適切なのかくらいは考えてもよいのではないでしょうか。

普段の生活でまったく顔を見ることもない立候補者の名前が選挙のときばかり連呼される選挙カーを苦々しく目にかける中で、外山氏の選挙カーだけは早く見たくてしょうがない。彼の活動は政治を用いたアートとかパフォーマンスなどともいわれますが、私にはパフォーマンスを用いた政治のように見えます。
単なる売名パフォーマンスや嫌がらせ的な行動ではなく、逆説的に選挙について目を向けさせてくれるだけで私にはとても有意義な活動だと思う、といったら持ち上げすぎでしょうか。




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by parttimeart | 2015-04-10 02:48 | エッセイ

アート専門家ではないふつうの人(会社員、福岡在住)が愛と情熱だけでアート、カルチャー情報を発信するメディアです。facebookではブログにはない情報をリアルタイムで更新中☆http://www.facebook.com/parttimrart
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