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P.T.A―Part Time Art ふつうの人が発信するアートカルチャーマガジン―

すき家の露出女子高生からみる女性の生きる道と幸せと落とし穴

牛丼チェーン店の「すき屋」でバイトしていた女子高生が、店内でわいせつ写真を自ら撮ってツイッターにあげていたのが発覚し、社内で処分されたそうです。

ネットでは、「ツイッターで目立とうとするバカッター」とか「バイトテロ」など、以前問題化した、飲食店やコンビニなどのバイトが店内で悪ふざけをした写真をSNSに投稿して炎上したケースと同じような反応が見受けられました

しかしわたしは、非常にこの女の子が心配です。というのも、この場合は単なる露出趣味や悪ふざけというより、自らわいせつな写真を上げてまで注目されたい、承認されたいと渇望する心の問題を感じるからです。

この子だけでなく、SNSにはそういった画像を自ら上げている人が多く、中には未成年と思われるものもあります。携帯で簡単に写真が撮れるので感覚が麻痺して、不特定多数に拡散され永久に残る危険性を認識しないまま軽い気持ちでやったことかもしれません。しかし、リベンジポルノや児童ポルノが問題になっているように、裸の写真をネットに流すことのリスクは計り知れないものがあり、プライバシーや問題になったあとの本人の精神的なダメージなど、将来的な影響が懸念されます。

SNSをするだれもが、「いいね!」とかファボり、リツイートされたときの喜びを知っているでしょう。そんな反応がほしいのは人として当たり前。しかし一般的な人々が普通の生活を綴っていても、バズることはなかなかないでしょう、これも当たり前です。それで多くの人々はリア充に見せたり、女子力をアピールしたり、モテ自慢をしたり、いきすぎた人は間違ったことをしてしまうんですね。

それはすべて、自分の存在価値が不安だからなのではないかと思います。

もちろん自分をよく見せようとするのは悪いことではないし、SNSのいいねやリツイートなどはコミュニケーションツールとして有益ですが、それらの表面的な反応を稼ぐために自分を消耗するのはよいと思えません。

裸体の写真を公開すれば、無料のポルノなのだから注目されるのは当たり前です。褒めてもらえたり、話しかけてもらえたりするでしょう。しかしその反応は、単なる消費される対象としてのものであって、当然ながら、自分が認められたことや、他人とコミュニケーションをとったり、つながったりすることとは全く違います。インスタントな接触を求めるあまり、本来貴重な価値を持つ、プライベートな自らを晒してしまうのではないでしょうか。

おそらく、すき家の女子高生はあんなことをしていても、とても虚しい気持ちだったのではないかと思います。なぜなら、そんなことは自分でよくわかっていて、一番傷つくのは本当は自分なのではないかと思うからです。
家族にはちゃんと愛されて育ったのたのだろうか。日々楽しみはあっただろうか。大事だと思える友達や恋人はいなかったのだろうか。
彼女はバイト先への不満もツイッターに書いていたそうで、早さや効率を優先し、信じられないほどにコストカットして、値段を削るためにバイトをギリギリの環境で働かせる、ブラックな世界も実際に見ているわけです。もちろんすき家で楽しく働いている方もたくさんいるとは思いますが、そういった社会の側面を見ながら、ストレスを抱えていたのではないかと想像します。
彼女のやったことを肯定するつもりはありませんが、まだ高校生の女の子がそのような行動に出ていたことには、いろいろな背景があるように考えられてならないのです。

女性が成長過程で直面することのひとつは、女性が性の対象として見られ、商品として流通していることです。

おそらく男性でも自身についてそれを認識されている方はいるのかもしれませんが、圧倒的に女性が多いと思うのでここでは女性を主語にします。それは重要な点なのですが、これまで男性社会の中で、AV業界やグラビア、風俗など、日常においては圧倒的に女性が性的に商品として扱われていることが背景にあります。(伝統的に男性は見た目や性的魅力などより、仕事での成果で評価や序列が見えやすいのに対し、女性は見た目などが加味されることについて、男性側からしたらずるいと言われるかもしれません。たしかに男性もそれはそれでつらいのですが、女性は子育てなどがあるため働き続けることがそもそも難しく、正当に仕事のみで評価されにくいという要因もあるのです)

女の子も成長すると、自分が商品としての価値を持つことを知ってしまいます。
また未成年だからこその価値を持つことも知ってしまう。「援助交際」が問題化したのはもうずいぶん昔ですし、最近は女子高生にマッサージなど客との接触をさせる風俗店まがいのサービスをさせる業者もあり、ますます足を踏み入れる危険性が増しています。

女性であることでインスタントに商品化されること、それを使うことは多くの場面で見受けられます。件の女子高生のような極端な例以外でも、美や若さでお金持ちの愛人になって貢がれる(こういう世界が実際にあるそうで驚きました)とか、枕営業とか(これも極端か)。じゃあモテを意識してスペックで相手を選ぶとか、人から気に入られるように振舞って都合のいい女になってしまう、とかでしょうか。

しかし、商品としての自分をアピールすることで、結局傷つくのは本人です。人が本来求めるのは愛情や友情、自分の能力や魅力、パフォーマンスなどを正当に認めてもらうことですから、結局商品への評価は上辺だけのものだからです。

しかし歴史的、慣習的に商品化されやすい女性は、評価される対象であり、数値化されるわかりやすい評価に振り回されたり、インスタントな商品に成り下がってしまったり、なおさらその評価という落とし穴にはまりやすいと思います。

一時期炎上したルミネのCMなんかが顕著ですが、あれも女性が見られる存在であることをあからさまに描きすぎたために、それが現実だとしても大バッシングを受けた。差別と思っていない作り手、差別だと反応する女性、事実だからまざまざと見せられて不快感を覚える人、など現在の状況をかなり反映した現象だったと思います(しかしいろんな意味であれはないと思います)。

最近TBS系のドラマ「マザーゲーム」を見ているのですが、見た目は完璧なセレブママたちは、子供のお受験に必死だったり、家では家族にいじめられていたり、夫が浮気していたりーーと、華やかな見た目を繕う女たちの生き方が描かれています。これは考えてみると、母親になると本人ではなく子供の優秀さや、夫の仕事、家庭の裕福さなど自分以外の評価軸でみられることが多くなってしまうからなのでしょう。

男女雇用機会均等法がはるか昔にもうある時代とはいえ、いまだ女性の評価軸は揺らいでいる。もちろん男性だって自信がないのは同じなのですが、女性はだれもがごまかされやすい“自己商品化”という甘い罠があるのです。

そこから脱したり、はまらないようにするにはどうしたらいいのか。自分の軸を持って、自信をつけるより他ないと思います。たとえば趣味など熱中できるものに取り組むとか、目標を持って努力するとか、愛されたりかまわれたりするのを求めるのではなく、自分が愛したり人のために働いたりするとか。簡単なことでないから老若男女みな、多かれ少なかれ不安なのです。しかし、そういった経験を積み重ねることにより、自分が価値ある存在だと認めて大切にできるようになり、自分が傷つくようなことは選ばないはずです。

女子高生は自分の人生を放棄するにはまだ若すぎる。これからの再起を応援したいと思います。






by parttimeart | 2015-05-09 03:44 | コラム

アート専門家ではないふつうの人(会社員、福岡在住)が愛と情熱だけでアート、カルチャー情報を発信するメディアです。facebookではブログにはない情報をリアルタイムで更新中☆http://www.facebook.com/parttimrart
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