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P.T.A―Part Time Art ふつうの人が発信するアートカルチャーマガジン―

マームとジプシー「cocoon」を8月9日に観る。

マームとジプシー、cocoonの再演をみた。初演をみられなかったことが2013年の後悔の一つだったので、本当にうれしかった。そして8月、奇しくも8月9日という大事な日に、演劇が観られるというこの平和、そしてこの演劇を観るという意味を深く考えたいと思い舞台に臨んだ。(このあと内容についてやや言及しているのでこれから観られる方などはご注意ください)
マームとジプシー「cocoon」を8月9日に観る。_c0309568_18091395.jpg

いわゆる「戦争モノ」っていくらでも悲劇や美談になってしまいがちなのだけど、女の子たちが死んでいく様子ではなくて、成長過程の思春期の心や、女性性についてもこまやかに描かれていて、生身のひとりひとりが生きていたことをちゃんと見つめている気がした。戦争という悲劇は特別な世界のことじゃない。日常の薄皮一枚はがした中で、どろどろの別の“日常”になるだけなのだ。そして女の子たちは、どんな日常でもただ一生懸命生きているのだ。
現実にたくさんのたくさんの女の子たちが死んでいって、まだ果たされなかった夢、誰にも言えなかった悩み、好きな人への思い、悲しいとか怖いとか痛いとかって叫び、きっと魂はまだいいたいことがたくさんあったはずだ。それを役者さんたちの身体を借りているような、そんな演劇でしかありえない“力”を見せてもらった。

戦争の記憶や体験の継承に深く根付く問題で、リアリティーをどう伝えるのか。それを、彼女たちの魂と身体を通して実感することができるーー、演劇ならではの素晴らしい仕事だと思った。

興味深かったのは、戦争における性暴力も描かれていたこと。目をそらさずにきちんとすくいあげたこと、そして、男性側の視点でもその弱さもまた人間として共感できる描き方でよかった。そういった心を壊してしまうのが戦争だからである。

強調されていたのはこれは単なる過去のお話ではなくて、過去における未来が今なのであるということ、つまり現代の私たちは未来の悲劇を予測できているだろうか? という問いだと私は受け取った。

恐ろしいことに、これはフィクションの悲劇などではなくて、70年前、実際に私たちの祖父母世代が体験していることなのだ。
普段意識しなくとも、家族や街ですれ違うご老人方は、戦火を生き延び、癒えぬ傷を負っている方であったりするのだ。
戦争体験者は、あまりにもつらい経験に口を閉ざす人がとても多い。でも70年を機に、そして自分の将来の短さや昨今の政治情勢から、その重い口をやっと開いた人もいる。その意味を慮り、私たちはこぼれて失われていくきおくや経験を受け止めなければならない。

私たちはすぐに忘れてしまう。子供の頃に「戦争はむごいんだよ。絶対してはいけないよ」といわれて、小さな心に恐怖心とともに平和を誓っているはずなのに、なぜ大人になったらそれを忘れてしまうのだろう。大事なことを単なる理想にすぎないと無視して、目先の利益や権力にすがってしまうのだろう。

若者が「戦争が怖い。戦争に行きたくない」と言うのが、なぜいけないのか。cocoonの女子学生や兵士たちが、もしもあのときそう言えたら。それを言わせないようにしてきた社会がたどり着いた8月15日を忘れたのか。

戦争はいつの時代でもどこでも起きている。それは地震みたいなもので、たまたま今ここで起きていないだけ。いつだって普通にそれは訪れるのだ。絶望から立ち上がり、「生きる」と決めた女の子。また悲劇を起こして彼女を二度殺すようなことがあってはならない。





by parttimeart | 2015-08-09 18:05 | レポート

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